どうも、初めまして、高野駿です。
まず初めに、僕がどういう生い立ちで、今現在のフリーランスに至ったのか、その経緯をご紹介したいと思います。2編にわたって、お話しします。今回は大学卒業までの僕についてです。
高校時代、校風は自由
特に勉強が得意な訳ではなく、なんとなーく受験しました。
願書を偏差値50ほどのところへ提出し、後日、願書を取り下げて、偏差値54の高校へ変更しました。
「なぜ?変えた?」
と思いますよね?
それは単純でした、新聞に発表される倍率を見て、1.1倍のところを見つけたからです。
そして、僕は無事合格し入学したのです。
ここから、僕の「自由」がはじまります。
通った高校は、頭髪、ピアス、服装、などすべて自由だったのです。
とにかく「自由」でした。
また、アルバイトもしました。ファミレスのホールスタッフです。
高校生の頃から、「働く」ということに早くから携われたことは本当に良かったと思っています。
大学受験失敗
僕の高校は大学進学と専門学校進学が、ちょうど半々くらいでした。
なので、大学受験に特化しているような高校ではありません。
自力で勉強、予備校も通いました。
半分実費で。。。。
バイトして、予備校行っての繰り返しの日々。
受験した学校は主に以下です。
- MARCH
- 成成明学獨國武
- 日東駒専
などです。
一番行きたかったのは、「明治学院大学」。
理由は、クリスチャン系の大学で、英語に精通していたからです。
大体どこの大学も、英文科系の学部を受験しました。
しかーし、すべてことごとく不合格。
数日後に謎の郵便物が届く
後期日程で、どの大学を受験しようか悩んでいたら…
「ピンポーン!!!」
一通の封筒が届きました。
それは落ちた大学からの郵便物でした。
「なんか分厚いぞ???あれ???」
なんと「追加合格証」だったのです!!!
びっくりした反面、追加合格ってなんやねんって思ったけども、
調べてみると、その大学は100年以上の歴史のある大学なのですが、
今までに一度も、繰り上げ合格を行ったことがなかったらしいんです!!!
ほんと僕は運がいいなと確信しました。
浪人しなくて良かったと思いましたし、救ってくれた大学に感謝です。
なんと言っても、家から自転車で15分ほどのところにある大学だったので、通いやすさは抜群だったので、最高でした。(※頭の良い大学ではないです笑)
そして、晴れて大学入学
よし、ここから華のキャンパスライフが始まる!!
サークルの新歓などに参加したりしたけど、
「あれ?なんか違う」
って思って、サークルには入らず、想像していた大学生活を送っていませんでした笑
僕は、
- 大人数苦手
- お酒苦手
- ウェイウェイ系苦手
だと言うことを実感しました。
大学1年の時、オーストラリア語学留学をきっかけに海外にハマる
ここで僕の転機が始まります。
それはオーストラリア短期留学です。
大学のプログラムだったのですが、第一期生だったのです。
場所は、オーストラリアですが、シドニーやメルボルンといった、有名都市ではなくて
「アデレード」というマイナーな都市でした。
初めての海外だったので、刺激的すぎて驚いた点が数え切れないです。
- 周りにいる人間が、日本人じゃない
- 日本語通じない
- 車の法定速度が全く違う
- 家は土足
- バスの時刻表はあてにならない、ウソ
- 白米がない
など、たくさんあります。
毎日目を輝かせて、アデレードという街を観察してました。
一度行ったきり、行けてないので、
僕を海外好きにさせてくれた土地へ、お礼を込めて、再訪問したと思います。
1年間休学して、セブ留学とワーホリ失敗
大学4年生になる前に1年間、休学しました。親の反対を押し切って笑
バイトで貯めたお金で、2ヶ月間、セブ留学しました。
フィリピンは想像以上に、価値観を変えさせてくれるところでした。
- 僕が贅沢な生活をしているということを実感
- 環境問題
- 治安
- 物価の違い
いろいろありました。
しかし、フィリピンの人たちは、とにかく笑顔でポジティブな国民性だなと感じました。
たくさん語りたいですが、書ききれないので省略します。
そしてフィリピンから帰国後、一旦日本に戻って数ヶ月バイトして、お金を貯めて、オーストラリアのシドニーへワーホリ渡航しました。
が、しかし、ここで挫折をするのです。
それは「英語力の低さ」です。
僕はこだわって、日本食レストランで働きたくないというのがあったので、オーストラリア人が働くような場所を探しましたが、挫折。
なんと、渡航1ヶ月という短さで、ワーホリを断念し、帰国したのです。
ワーホリビザを無駄にしてしまったな、と後悔はしましたけど、
何事も経験が大切ですし、学べたことはたくさんあったのでオールオッケーです。
就活は航空系とメディア系
海外が好きだったので、航空会社に目をつけました。
その中でも、CA職を探してました。しかし、日系航空会社は男性CAの採用がゼロに等しいので断念。
なので、LCCと外資系に絞りました。またグランドスタッフ職も視野に。
メディア系については、主にテレビ局や制作会社にしました。
もともと、僕はミーハーで芸能人が好きなので、憧れのあった世界です。
4月にはテレビ番組制作会社への内定が決まる
なんと、4年生に進級してすぐ、
制作会社から内定確定通知を受け取ったので、そこで就活を終了しました。
早く就活終わらせて、残りは海外旅行しまくる!!と決めていたので、正直ラッキーでした。
マルタ留学しながらヨーロッパ旅へ
行ったことのなかった、ヨーロッパを開拓したかったので、2ヶ月間、マルタ留学をしました。
(※マルタ留学については、近々詳しく記事にしますので、そちらをご覧ください。)
毎週末は、ヨーロッパのLCCを利用して旅してました。正直に言うと、学校も休んだりしてました笑
- イタリア(ローマ、ベネチア、ミラノ)
- ドイツ(ミュンヘン)
- スペイン(バルセロナ)
- ベルギー(ブリュッセル、ブルージュ)
- ハンガリー(ブダペスト)
- オーストリア(ザルツブルク)
- イギリス(ロンドン)
- フランス(パリ)
ざっとこんな感じです笑
かなり周りました。こちらについても個別に記事にしますので、お楽しみに!!
大学時代に行った国はトータル、約20カ国
学生でここまで行ったのは、なかなかではないですかね笑
他の国だと上記で紹介したところを除くと…
- タイ(バンコク2回、パタヤ)
- 韓国(ソウル2回)
- アメリカ(ロサンゼルス)
- オーストラリア(アデレード、シドニー)
- マレーシア(クアラルンプール)
- シンガポール
- インドネシア(バリ島)
- 香港
- マカオ(2回)
- 中国(北京)
- ドイツ(フランクフルト、ハイデルベルク)
- スペイン(マドリード2回、バレンシア)
- ベトナム(ダナン)
こんな感じです!ちゃんと随時、記事にします!
まとめ:学生時代の僕は既に自由奔放
この自由さが、今現在、フリーランスになったのを物語っている気がします笑
おそらく、「どっからそんなお金が?」と思われるかもしれないですが、すべて実費です。
六本木のフレンチイタリアンのお店で朝から晩まで働いたり、某テレビ局の番組制作バイトをしたりしていました。
それなりに時給が高かったので、月20万くらいは稼いでいました。
続きは「後編」を載せますので、読んでいただけると嬉しいです!